まちなかの小さなビレッジ

Dsc03190昨年の夏に千葉県柏市でオープンした「柏の葉フューチャービレッジ」。地域関係者のコミュニケーションの場として、そして活動拠点として開設された施設である。敷地面積が1000㎡で、建物面積は400㎡。周辺の開発を手がける不動産会社のオフィス、まちのクラブハウス、キッチン会議室、隣接する病院の入院患者家族の支援センターで構成されている。

フューチャービレッジ、すなわち未来のムラ。滑らかなカーブを描く建物の形は、未来を予感させるデザインである。商業化された最新設備も数多く導入されている。屋根には14kWの太陽光発電パネルが設置されており、施設の消費電力の約4割を自給。ソーラーコレクターで集められた太陽熱は暖房に利用され、壁面緑化よって冷房負荷を15削減。高い断熱性能。LED照明。上水の利用量は雨水タンクの設置によって6割削減、などなど。ハードウェアとして、近未来の生活がデモンストレーションされている。

まちのクラブハウスでは、園芸倶楽部など多様な地域活動が試行され、キッチン会議室では食をテーマとしたワークショップが開催されている。こちらの方はソフトウェアとしての近未来の生活を創発しようという趣向である。それぞれの生活を楽しみながら、何かを共有できる、顔の見える人間関係をつくってゆく。かつての村落共同代のような拘束性の強い関係ではなく、志向を共にする人間関係といえるだろう。

まちのクラブハウスもキッチン会議室も誰かに占有されるものではなく、日によって時間によって使う人が変わり、場面も変えてゆく。この場所を基点としたヒューマンスケールなエリアのなかで、趣味や志を同じくしたグループがいくつも生まれてゆく。そして複数のグループは、この場所で緩やかに重なってゆく。未来を予感させる施設のなかで人間関係もつくられてゆく。

まちなかの小さなビレッジ。この場合のビレッジは、基礎自治体としての村ではなく、小集落である。小集落からのスタート。地域づくりの基本と言えるかもしれない。

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多くのボランティアが必要なのか?

88東京都内の某所、コンビニエンスストアの前に、ある看板が設置されていた。看板には「この道は私たちが清掃・美化のボランティア活動を行っています」と書かれ、道路を所轄する役所の名前、そしてコンビニエンスストアの名前が示されている。同じような看板は、他の場所でも目にすることがある。

たしかに店舗周辺の道路の清掃や美化を行うことは、良いことなのだろう。ただし、これはボランティアという行為に当たるのだろうか? たしかに道路という他人の土地を清掃するわけだから、ボランティアと言えなくもない。しかし、むしろ営業活動の一環として位置づけるべきものだと思う。店舗周辺が汚ければ、おそらく集客にも差し障りが出てくるはずである。普通の経営感覚からすると、店舗周辺を清掃・美化するのは、ごくごく当たり前の行為であるはずである。

戸建て住宅に住む人であれば、自宅前の道路が散らかっていたら、掃除をする人が多いだろう。僕だって、たまには掃除をする。他人のためではなく、むしろ自分のため掃除をする。それをボランティアだと呼ぶ人はいないはずである。かりに、大半の住民が自宅付近の環境を良好に保っていれば、特別な何か、つまり清掃ボランティアは不要となる。逆に多くのボランティアがあったりすると、そちらに依存して、自分では何もしない人が出てくることになる。

もちろんボランティアが必要な分野はあるだろう。ただし何がかんでもボランティアにしてしまうと、人々の自律的な態度を損なうのではないだろうか。少なくとも自分の周辺を、できる範囲で、それなりに保つことはマナーであるべきだと思う。この看板は逆説的に、そのことを伝えているのかもしれない。

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昭和の地域力

東京タワーの近所に「芝の家」という施設がオープンした。木製の掃きだし窓の前には、縁台が設けられている。縁台は道路に路地に面しており、そこで人々が休め、交流できるようになっている。昭和30年代にあった、人と人とのつながりを再生することを目的としてつくられた施設だそうだ。いまのところオープンしているのは、週3日だけれども、いろいろな催しも開かれている。

Dsc02910 僕が東京にやってきたのは昭和が終わりかけた頃、ちょうどバブルの時代である。そのころの職場は「芝の家」の近所だった。バブルの時代であったけれども、職場周辺には昭和の雰囲気が残されており、オジサン・オバサンが営む商店も多数あった。

例えば、お昼になると食堂に行き、定食を注文する。そして「あー、今日は本当に腹へったなあ」と言ったりすると、オバサンが「じゃあ、大きな冷奴をオマケしとくね」と、豆腐一丁をまるごと出してくれたり、ご飯を大盛りにしてくれた。夜は居酒屋に行くと、そこの娘さんと一緒に飲んだりもした。バブルの時代で、中身はともかく、仕事の量が多かっただけに、ビジネスライクでないコミュニケーションにほっとさせられた。

しかしバブルという波にさらされて、また大きな市場経済の波に洗われて、昭和の面影はすっかりなくなってしまった。高層ビルが立ち並ぶようになり、商店街も消え去った。しかし開発に取り残された区画もあり、そこで昭和の地域力を再生させようと「芝の家」が開設された。

いまほどビジネスに支配されておらず、おおらかさがあった昭和。おおらなか地域づくりに起点としての「芝の家」に期待したい。

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ヒューマンスケールな水利

仕事で京都に行ってきた。紅葉のシーズンとなったので、平日に関わらず、多くの観光客で賑わっていた。市内を走るバスも、まさにスシ詰め状態である。そして交通渋滞。そのうえ乗客が多いと、バスの乗降に時間がかかる。目的に到達するまでに、予想していた時間の2倍を要した。しかし、まだまだ序の口である。平年通りなら、京都の紅葉のピークは11月下旬であり、その頃に3連休がある。おそらく大渋滞になるだろう。なお、来週のウィークディにも京都出張に出る予定であるが、やはり多くの人出があるようで、たいていのホテルは満室のようで、宿泊先は確保できていない。景気が悪いというけれど、みんな、それなりにリッチになったのだろう。

さて、京都の街中の公共交通機関といえば、バスが中心的役割を果している。しかし往時には市電が走っていた。廃線になったのは、いまから30年前の1978年である(キャンディーズも同年に解散)。いうまでもなくモータリゼーションによって、市内を走るクルマの数が増え、市電の運行効率が落ち、また増え続ける物流需要に対応するためには、道路をクルマに明け渡すことが必要になった。

もちろん市電は公共交通機関であったわけであるが、それは京都の街づくりの象徴でもあったのだと思う。明治維新による東京遷都で、明治初期の京都は衰退を余儀なくされた。そこで地域の活力を引き出すために、琵琶湖から水を引くという疏水建設構想が持ち上がった。疏水をつくることで、舟による物資の輸送を活発し、日本で始めての事業用発電所をつくり、新しい工場を建設する。いっぽうで水道事業を興しながら、市電も開業する。壮大な地域構想の一環として市電があったのである。

Dsc02934当時は現在のような重機はなく、疏水建設工事のほとんどが人力によって行われた。琵琶湖から水を引くには、滋賀県境にある山々にトンネルを掘って水路をつくらなければならないし、効率的に配水するには、レンガなどを使い、高さのある送水路をつくることも必要になる。完成が危ぶまれる難工事であったけれども、着工から5年で最初の疏水は完成した。もちろん、それなりに大きな建造物がつくられているわけであるが、ほとんどが人力で行われているだけに、とてもヒューマンスケールな印象がある。生態系への影響も軽微であったはずである。

ずっと前から、京都にLRT(路面電車を洗練化させたシステム)を走らせようという動きがある。実現するには、どうやって資金を確保するか、どうやって市内中心部へのクルマの乗り入れ量を減らすか、いろいろな課題がある。しかし実現されればと思う。かつて京都の人々が考えた構想は、いまの時代でも通用する部分は少なくない。再生することには一定の意義がある。適正技術としての土木工事であり、街づくりだと見なすこともできるのではないだろうか。

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街のCSR報告書

「Community Social Responsibility Report 2008」というCSR報告書を入手した。発行元は、大手町・丸の内・有楽町地区再開発計画推進協議会(略して、大丸有)である。東京駅周辺の大手町、丸の内、有楽町地区では、持続可能な街づくりが取り組まれている。どのようなビジョンのもとに街づくりが進められているのか。ハード、ソフトの両面で何が行われているのか。街から、どのくらいのCO2が排出されているのか。持続可能という観点から、街の状況をまとめた冊子である。

872000年を過ぎた頃から、CSRという言葉が多く使われるようになった。そして大きな企業ではCSR報告書を出すようになった。こちらのCSRは、Corporate Social Responsibility(企業の社会的責任)であり、CSR報告書は、経済、環境、社会の3つの観点から、企業経営の持続可能性を企業みずからが分析し、情報開示を行うものである。いわゆる産業界ではCSRという言葉は定着し、CSR報告書の存在はそれなりに認知されている。大丸有のCSR報告書は、産業界のCSR報告書を意識したものだと思う。

産業界でCSR報告書を発行するような企業は大企業であり、その活動範囲は広く、グローバルカンパニーであることも多い。国内で営業を行う企業であっても、海外から仕入れを行っていることがほとんどである。だから企業のCSR報告書には、親近感を感じにくいのも事実である。企業の規模が大きくなると、余計にそうなってしまう。かりに総合家電メーカーA社のCSR報告書であれば、A社が事業を展開するすべて分野や地域、材料の調達、物流、社会貢献活動にいたるまでの情報が網羅されている。興味を持って、読むことができるのは業界筋、投資家、コンサルタントの人たちに限られるだろう。

ところが街のCSR報告書では、人数は限られるかもしれないが、かなりの数の多種多様な人が一定の興味をもって読む可能性があると思う。何ならの形で街に関係する人は、報告書に書かれていることを、実際に自分の肉眼で確認できる。街は、まとまりを持った生活世界であり、リアルに感じることができる。リアルな世界で自分の行動を広げ、深めることができる。

大丸有のCSRレポートはA4版、約100ページで、かなりのコストが投入されているようだ。日本の経済を担う中心的な場所であり、コスト負担力がある。しかし街のCSRレポートは、お金がなくても、知恵を持ち寄り、汗を流せば、それなりのものが作れるのではないだろうか。グラスルーツのCSR報告書も、いずれ出てくるだろう。

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環境モデル都市選出

今春、日本政府は全国の市区町村を対象に「環境モデル都市」の募集を行った。低炭素社会に向けて、世界の先例となる都市モデルをつくり、そこで得られたノウハウ知見を社会に広く普及させることが狙いである。全国から82件の応募があり、7月22日に6自治体が選定されたことが公表された。選定基準は、1)大幅なガス排出削減目標、2)先駆性・モデル性、3)地域適応性、4)実現可能性、5)持続性、の5点だそうだ。当初予定では、10都市が選ばれることになっていたが、現時点では選出されたのは6自治体で、以下のような特徴がある。

 北海道帯広市:牛糞の代替燃料として活用
 北海道下川町:町面積の9割を占める森林資源の有効活用
 横浜市:省エネ製品購入を促す「環境ポイント制度」の導入
 富山市:LRTなどを生かしたコンパクトな都市づくり
 北九州市:工場廃熱などの活用によるゼロエミッション街区づくり
 水俣市:水俣病の経験を生かした環境教育や省エネ

また正式選定には至っていないが、以下の7都市も「環境モデル候補都市」とされている。これらの候補都市は、計画を再度精査し、年度内に基準を満たせばモデル都市に格上げされるそうだ。

 東京都千代田区:オフィス街単位でのエネルギーマネジメントシステム
 京都市:歩いて楽しい街づくり
 大阪府堺市:積極的な太陽光発電システムの設置助成
 長野県飯田市:市民の出資による太陽光発電事業の推進
 愛知県豊田市:ITS(高度道路交通情報システム)の推進
 高知県檮原町:森林整備による温室効果ガス吸収
 沖縄県宮古市:サトウキビを使ったバイオエタノール生産

モデル都市とモデル都市候補を合わせて13自治体。このうち1カ所は少年期まで過ごした場所(富山市)であり、10カ所は訪れたことがある。足を踏み入れたことのない残り2カ所についても、いずれ行ってみたい。

001_1えてして、身近なものについては、人はあまり高く評価しない傾向がある。だから、慣れ親しんだ富山市が環境モデル都市に選定されたと耳にしても、あまりピンとこない。「へえー、そうなのか」という印象である。たしかに最近では、最新式のLRTを導入するなど、検討しているようだ。ゆかりのある街だから、頑張ってほしいと思う。

環境モデル都市の1つに選ばれた水俣市。水俣市というと、とかく水俣病が連想され、好ましいイメージを持つ人が少ないのではないだろう。かつては僕もそうだった。しかし実際に水俣市を訪れてみて、大きな見当違いであることを知らされた。川の水も、海の水も本当に美しい。日本の農村風景も残っていて、緑の山々も美しい。いったんは水俣病によって深刻な影響を受けたものの、深刻さゆえに自然と真摯に向き合うこととなり、その結果、美しい水や風景が再生されたのである(水という点では、富山市より、断然、きれいだと思う)。水俣市は、温暖化防止や低炭素社会などというよりも、人間の生き様や物語性が感じられる街である。

富山市はともかく、水俣市には、できるだけ多くの人に訪れてほしいと思っている。ほんと、ヒネクレ者である。

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災害復興とタケ

残念なことだけれども、ミャンマーと中国で大規模な自然災害が相次いで起こり、大きな被害を出している。外国での出来事であり、僕にできることは義捐金を送るくらいしかない。被災した人たちが少しでも早く救出され、また被災地が復興されることを祈っている。

さて、ミャンマーと中国の共通点のひとつに、タケが豊富にあるということがある。タケは成長が早く、中空で、軽くて扱いやすい。含有糖分が多く、虫害に遭いやすいという短所はあるものの、普通の木材と同等以上の強度がある。だから昔から建物など、いろいろな分野で活用されてきた。

もう10年近く前のことであるが、1999年1月に南米のコロンビア中部のアルメニア地方で大きな地震が発生し、約1200人が死亡し、25万人が被災した。かつてスペインの植民地であったため、コロンビアの建物の多くはスパニッシュスタイルで、レンガの積石造の建物は大半が崩壊した。しかしタケを使った、いわば竹造住宅の被害は軽微にレベルに留まった。そこでタケによる住宅建設(が、被災地の復興プロジェクトの1つもなった(蛇足だが、このとき現地関係者が支援を求めて来日し、僕はボランティアとして各方面にコンタクトした。数ヶ所から「年度末で忙しいから、急には対応できない」と言われ、情けなく感じたことは、いまも忘れない)。

一般にタケの住宅というと、質素なイメージが連想される。しかし適切に用いれば、普通の木造住宅に見劣りしない住宅をつくることができる。もちろん十分な強度を確保することも可能で、コロンビアでは5階建てのタケの住宅があるくらいである。そう言えば、バリ島などでも、タケで立派なリゾートホテルがつくられている。

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そして、いま思うことは、約10年前にコロンビアで進められたタケによる住宅建設を、ミャンマーや中国でも応用できないだろうか、ということである。たしかコロンビアのプロジェクトは国連からもバックアップを受けていたはず。国連機関などの仲介によって、ノウハウが移転されれば、いくらかでも復興は早まるのではないだろうか。

しかし話はそう簡単ではない。ミャンマーの軍事政権は、他国からの国際救援要員の受け入れには前向きではない。いっぽう中国にとっては、タケを主材とした住宅建設よりも、鉄筋コンクリートによる建物の方が、マスを追及する近代化トレンドに合致するのかもしれない。

復興にはスピードが要求される。扱いやすいタケはそれなりに有用な材料だと思うのだが……。

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歩いて楽しい川づくり

静岡県三島市に出かけ、街なかを歩いてみた。三島市の特徴のひとつが、街なかに開放的なせせらぎ空間を多数つくっていることである。そして、川や水辺などの整備を進めるにあたって、市民主導で計画をつくり、行政との協働によって事業を進めてきたことでも三島市は有名である。

水のポケットパーク、川沿いの遊歩道、街なかの水の仕掛け、ホタルなど生物が生息できる環境整備など、せせらぎをテーマとして、いろいろな取り組みがある。いわゆる「歩いて楽しい街づくり」が進められてきているが、街づくりであり、そして「歩いて楽しい川づくり」でもある。

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源兵衛川という小川には、人ひとりがやっと歩ける通路が設けられている。川という自然を保全しようとすれば、人工物の設置はできるだけ小さい方がいい。しかし、その代わりに通路は狭くなり、通行しにくくなる。人がすれ違うことができないから、譲り合いの気持ちが必要となる。反対側から、やってくる人の気配を察して、声をかけながら、あるいは道を譲ってくれた人にお礼を言いながら、人が行き交うことになる。狭いぶんだけ、人と人の距離を縮め、コミュニケーションの素地を生み出すことにもなる。

さやさやと流れゆく水の音には、人を落ち着かせる効果があると思う。街にも落ち着きが出てくる。ちゃんとしたコミュニケーションを成立させる条件のひとつに、落ち着きがある。

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もったいない図書館、雪のなか

福島県南部の矢祭町。人口が約6500人の小さな町である。平成の大合併と呼ばれる合併ブームのさなかに「合併しない宣言」を行い、さまざまな行政改革を進める町として全国的に有名になった。例えば、商店街のスタンプで公共料金を支払うことができるなど、工夫を凝らした多数の施策が展開されてきたが、そのひとつが「もったいない図書館」の創設である。

矢祭町には書店が1軒もなく、図書館がほしいという要望が前々からあった。しかし図書館を建てる費用もなければ、蔵書を購入する費用もない。そこで建物については武道館を改修し、蔵書については、全国から「送料も支払うことができませんが、不要になった本を下さい」と呼びかけた。そんな調子のいい話が上手くいくはずがないと、全国の図書館関係者からは冷ややかな目で見られた。ところが、おおかたの予想を裏切り、全国から40万冊を超える本が集まり、2006年の「もったいない図書館」のオープンにこぎつけた。

Dsc05071本が集まっただけではなく、本を寄贈した人も矢祭町に足を運ぶようになった。図書館の通路のガラスには、感謝の意を込めて、本の寄贈者の氏名が刻み込まれている。それを見るためにやってくる。また自分が送った本がどのように扱われているかを確認するために、やってくる人もいる。そして単なる物見遊山として、僕のように出かける人も多いはずである。全国から注目されることは、地域の人たちの意気や自信に結びつくと思う。外から人がやってくれば、地元経済にはプラスとなる。もったいない図書館は、住民に本を貸し出すと同時に、地域振興でも一役買っている。

広くて使いやすそうな図書館だった。冷やかしで訪れた僕たちにも、ボランティア・スタッフの方々は丁寧に対応してくださった。不要になった本とはいえ、高価で立派な本もたくさん置かれていた。例えば豪華なハードケースに入った著名作家の全集などもある。近所に住んでいたなら、ぜひ借りたいと思うような本も少なくなかった。

ただし訪れたのが、大雪の日の午前中だったこともあってか、来館者は僕たち余所者の他に誰もいなかった。広い室内はヒーターでしっかりと暖房されていたが、文字通り「もったいないなあー」と思ったりして……。天邪鬼の僕が個人的に感じたことである。少し工夫すれば暖房にかかるコストをかなり縮小できるはずである。本の次は、もったいないの知恵を全国から募集してみたら、どうだろう。もったいないコンクール。

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コミュニティガーデンと地域の安全

Dsc04992_2頭のトレーニングの一環として、ときどき仕事と関係のない分野で、懸賞文章などを書いている。しがらみのないところで評価されるか、評価されないか。評価されなかったとしても、それは「足りない」と評価されたわけだから、自分にとってはプラスになる。書くというプロセス自体から何かを学ぶことができる。今日は、ある論文コンクールの授賞式。僕も末席ながら賞を受賞することができた。

論文のテーマは「社会の安全(主に治安)」で、たまたま新聞で論文募集の広告を見て、ものは試しと応募してみた。応募するときには、まったく気づいておらず、受賞してみて初めて知ったのだが、主催者は警察関係の組織だった。なので、いくぶん場違いの論文応募であり、たぶん受賞者のなかでは、僕は異質だったのだと思う。授賞式では「論文中のカタカナが多かったのですが、新しい視点でした……」と評していただいた(カタカナは意識的に極力控えたつもりだったけど)。

Dsc01879さて、社会の安全を確保する方法の1つとしてコミュニティガーデンがあると思っている。僕の書いた論文の内容のすべてではないけれど、コミュニティガーデンについても部分的に言及している。閉じた庭ではなくて、誰もが自由に出入りできる庭があって、そこで地域の人たちが生き生きと活動していたら、不審者や犯罪企図者は近づきにくいはずである。コミュニティガーデンを通じて、地域の人々に人間関係ができてゆけば、互助の基盤ができてゆくと思う。

とは言うものの、現実は甘くないのである。例えば僕も家の近所で区民農園を借りたりしているが、収穫物を盗まれたりする。あるいは家のフェンスに這わせたブルーベリーの木から、実をとってゆく輩もいる(近所の子供が通報してくれた)。だからコミュニティガーデンが増えてゆくと、軽微な犯罪は増えることにもなる。でもね、被害が少ない限りにおいては、盗られた方は自尊心をくすぐられた気分にもなる。だって自分が育てた植物を評価してくれたのである(あんたはMか)。

コミュニティガーデンによって軽微な犯罪は増える可能性はある。何ごとにも危険やリスクはつきものである。しかしながら地域総体としての安全は高まるのではないだろうか。

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