資本主義のなかでのエコビレッジ

いまや世界中ほとんどの地域に、資本主義ならびに市場経済が広がっている。多くの資本を集め、それを投資運用することで、さらに新たな資本を生み出してゆく。資本が投資運用される舞台となるのが市場経済で、市場経済で勝利した勝者のもとには、さらに多くの資本が集まってゆく。持てる者と、持たざる者の格差を拡大してゆく。そして資本主義や市場経済が行過ぎると、多くの資源が消費され、自然環境を破壊することにもなる。

自給的経済の創出に重きを置くエコビレッジといえども、資本主義や市場経済の恩恵を受けている。例えばエコビレッジで使われる自動車やパソコンなどの各種技術は、資本主義や市場経済があるからこそ、合理的な価格で入手できる。エコビレッジの住人といえども、公的な学校教育や各種の社会保障制度にお世話になるはずであり、そのコストも元をたどれば、市場経済に由来する。

だからエコビレッジが資本主義や市場経済の行き過ぎに異を唱えるとしたら、資本主義や市場経済に対峙しながらも、新たな経済循環のあり方を構築することが必要なのだろう。そのことに成功しているグループのひとつが、ゾート機能を備えたエコビレッジだと思う。例えばスペイン、カナリア諸島のアラガヤル(写真左)、あるいはハワイのカラニ(写真右)。

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エコビレッジとして、クォリティの高いリゾート空間をつくることができれば、やや高めの料金設定であっても、多くのゲストが集まってくる。すると相応の現金収入を得ることができる。いっぽうエコビレッジで働きたい者には広く門戸を開き、ビレッジの運営方針などについて合意がなされれば、誰でも受け入れる。すなわち持てる者をゲストとして収容し、そうでない場合でも、ビレッジの住人として暮らすことができる。すると市場経済と自給的経済の2つの経済によって、エコビレッジが支えられることになる。

できるだけ少ない資源で、クォリティの高い空間やサービス、モノをつくる。なおかつ資本の有無にかかわらず誰もが参加できる。現在の資本主義や市場経済に対する、ひとつの提案といえないだろうか。

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エコビレッジよりも、まず都会を変えるべき

ともすると、ムラ(地方)社会が先にあって、その後で都会ができたと思われている。都会にはムラから多くの人々が集まり、そして都会はさらに大きくなってゆく。ほとんどの都会の住民は元はと言えば、ムラ出身であるから、都会より先にムラがあったと考えるのは、ごく妥当な考え方だと思う。

しかし逆の見方もできる。ずっと昔は、ムラや都会という区別もなかった。やがて多くの人が集まって街ができ、街が大きくなって都会になった。そして結果的に、都会や街でない場所が相対化され、ムラと位置づけられることとなった。都会が先にできて、後でムラと呼ばれる場所ができた。そのためにムラ社会の底流には、どことなく都会の組織原理も流れているのだと思う。だからムラを変えてゆくには、まず都会を変えるべきなのではないだろか。

「エコビレッジへの旅」というブログを書いておきながら、「まず都会を変えるべき」というのは、とても矛盾していると思う。しかし数年来、そう考えるようになってきた。そのような視点で、いろいろ当ってみると、アーバンビレッジという考え方に行き着いた。その名の通り、都会(アーバン)とムラ(ビレッジ)の良さを併せもった街をつくろうというもので、ロンドンやシアトルでは、アーバンビレッジという名のもとで街区整備が進められている。

一昨年の秋にロンドンに立ち寄ったときに「ミレニアム・ビレッジ」というアーバンビレッジに立ち寄った。そして来月はシアトルに行き、現地のアーバンビレッジを見てこようと思う。ちょうど今日からシアトルの情報を集め始めた。

アーバンビレッジに限らず、シアトルで面白いエコスポットをご存知の方。どうか教えて下さいな。

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エコビレッジの設計仕様書のような物語

「ネタが続かないのでヘリクツで考えるエコビレッジ その17」

51dk1m27ptl__ss500_ずっと絶版になっていた本で、わりと最近に復刻版として出された本がある。『茗荷村見聞記』という本で、著者は故・田村一二さん、初版は1971年である。主人公は、ずっと福祉現場に携わってきた田村先生。その田村先生が一泊二日で茗荷村を訪ね、村のあちこちを見学して回るという物語である。茗荷村では知的障がい者と健常者が一緒に暮らし、それぞれの個性を活かして生き生きと働いている。自然の原理に即した農業を行うことで食料を自給しながら、村の外へも出荷している。「木を大切にする、弱い人を大切にする、職人を大切にする」ことを村是とする村で、田村先生は暖かい持てなしを受け、これからの社会が向かうべき方向を確信するというフィクションである。

かつては障がい者だけを集めて、仕事をするというスタイルが主流だった。知的障がい者と健常者が一緒に働ける場を確保しようという動きが高まってきたのは、わりと最近になってのことだと思う。しかし30年以上も前に書かれた『茗荷村見聞記』では、そのような世界がすでに描かれている。いわゆる有機農産物こそが本来あるべき農産物であり、そのニーズが高まってゆくとされている(物語のなかでは、漬物の注文がどんどん増えてゆく)。作者の目はとても鋭く、時代をいち早く読んでいた。そして社会の方が、ようやく物語に追いつきつつある。

『茗荷村見聞記』のすごいところは、この物語に即して、実際に茗荷村という集落ができたことである。この物語はやがて映画化され、茗荷村の理念に共感した人が集まって、1982年に滋賀県愛東町(現、東近江市)の大萩地区で「大萩茗荷村」が動き出した。最初の入村者は11人。以来、少しずつ人が増え、現在はおよそ100人が村で暮らしているそうだ。僕も1度だけ訪問し、昼食をいただいたことがある。とても美味しかったことを記憶している。あのときは多忙な先生方と一緒に行ったので、半日という短い時間での見学だったので、いずれ時間ができたときに再訪しようと思っている。

この『茗荷村見聞記』は、エコビレッジの設計仕様書のような物語といえるだろう。ただし物語として書かれた内容が、そのまま実現しているわけではない。物語に書かれた理念が実現されているのである。いくら美しく、具体的に絵を描いたところで、実際に出来てくるものは異なっている。仕様書でもっとも大切なものは人々の心に訴える理念なのだろう。

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平和と闘争、そして女性

「ネタが続かないのでヘリクツで考えるエコビレッジ その16」

Dsc01085エコビレッジとは、環境に配慮したエコロジカルな生活世界をめざすものであるけれども、同時に戦いのない平和な世界をつくる試みでもあると思う。そして実際、反戦運度を契機にできたエコビレッジもあれば、平和を全面に出しているエコビレッジもある。例えばスペインのバスク地方の Lakabe は反戦運動家たちがつくったエコビレッジで、非暴力を活動原理としているし(写真)、ハワイで訪れた Gaia Yoga も平和や非暴力のコミュニケーションの重要性を説いていた。

どうして平和などと言い出したかというと、つい先日、映画『パッチギ!LOVE&PEACE』を見たから。文字通り、愛と平和がテーマの映画である。井筒和幸監督作品は好きだし、前作の『パッチギ』もとても面白かった。だから封切り直後に、期待を膨らませて映画を見に行った。しかし結果はどうだったか? たしかに息をつかせぬ展開で、面白かったけど、個人的にはイマイチだなあと思った。前作とほぼ同じパターンで、先が読めてしまう。やはり秀作の続編をつくるのは難しいのだろう。見る方だって、大きな期待を持ちすぎてしまう。

さて『パッチギ!LOVE&PEACE』は前作同様に、迫力じゅうぶんな喧嘩のシーンで始まり、ラストも派手な喧嘩のシーンで締めくくられる。どうも男達は喧嘩をせずにはいられないようである。喧嘩の理由はあるのだが、むしろ理由は後付けのようでもある。もしかすると男には、相手を打ちのめしたいという本能を持っているのかもしれない。だから喧嘩のシーンを見ると、ハラハラするけれども、ある種の爽快さがあるのも事実である。

またまた話は飛ぶが、アーネスト・カレンバックの小説『エコトピア・レポート』(たしかアメリカの一部の大学では教科書として使われていた時期があったとか)。持続可能な国、エコトピアでの暮らしぶりを描いた小説であるが、そこでは擬似的な部族間戦争がゲームとして行われる。この戦争は成人男性が全員参加で、原始的な武器で行われ、近代兵器は使われない。そして疑似戦争に参加した主人公は大怪我をして入院することになる。人間の闘争本能を開放する場として、疑似戦争が位置づけられている。平和を実現するには、そのような場が必要だというのが著者の考えなのだろう。何となく、わかる気もする。

戦う相手がいるからこそ、活力を保っていられるような男たち。そう言えば、冒頭で紹介したLakabe にしても、Gaia Yoga にしても女性がリーダーシップをとっていた。やはり平和を導くのは女性なのだろうか。

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昭和30年代村

「ネタが続かないのでヘリクツで考えるエコビレッジ その15」

昭和30年代村」という構想があるそうだ。伊豆半島の伊東市の山中での地域開発。キャッチフレーズは「年金・雇用・教育などあらゆる社会問題解決のキーワードタウン」だそうだ。農業や林業を再生してゆきながら、古き良き時代の美しい村をつくってゆく。観光客を誘致し、雇用を生み出し、そこに住む人々の生涯の生活を保障する。村民全員がヘルパーとなり、要介護者でも生きがいの持てる生活の場を提供する。村民一人ひとりが生き生きと生活する。すると生活そのものが観光資源になる。計画が順調に進めば、来年の終わり頃には入居が始まるそうだ。

Dsc03298この「昭和30年代村」の事業主体はツカサグループ。ウィークリーマンションという業態をつくりだした不動産企業である。代表をつとめるのは川又三智彦さんで、とても発想ゆたかなアイデアマンだと言われている。パンフレットを見るだけでは、どのような収益構造になるのは、よくわからないが、それなりの勝算はあるのだろう。

パンフレットには川又代表をイメージさせるイラストが何点かあって、そのうち1点は笑顔で臨終するというものである。身体から抜け出た魂が、満足げに村を眺めている。四季折々の行事のなかに、真ん中で大きく描かれているのが結婚式と葬式である。始まりがあって、終わりがある。終の棲家としての村をつくる。川又代表の夢なのかもしれない。

ツカサグループがこれまで主に提供してきたウィークリーマンションは、状況に応じて部屋を確保するというもので、所有ではなく利用に重点を置いたシステムである。この「昭和30年代村」も土地分譲ではなく、会員権を提供するシステムらしい。土地は個人のものではなく、住民の共有財産と考える。その方が健全な環境を維持しやすい、ということだろう。

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エコビレッジに高度ケア

「ネタが続かないのでヘリクツで考えるエコビレッジ その14」

自給的なエコビレッジには、いくつかの課題があると思う。そのひとつが医療などの専門ケアが必要になったときに、どう対処するかということである。エコビレッジは農的暮らしをベースとするものだから、都市から離れているケースが多い。周辺には医療機関などは少ないだろうし、高度なケアが必要になった場合、対処できないかもしれない。数年前までは「病は気から」「病気は根性で治すもの」と思っていたのだが、高度なケアが必要になるという状況を身近で目にしてきた。エコビレッジでは、どう対処できるのか。エコビレッジをリタイヤし、専門施設に身を委ねるしかないのだろうか。

Dsc00322約2年半前に訪れたハワイ島の「La'ake Community」。約25エーカーの敷地で6人の住人が暮らしている。もともとはグァバの果樹園だった土地を、1992年からパーマカルチャーのデザイン原則に基づき整備してきた。自然と調和し、ウェルビーイング(翻訳は難し)な暮らしをつくることに重点を置いているという。僕が訪れたときには、面談してくれた女性スタッフは「ゆくゆくは、ここでホスピスのような施設をつくりたい」と話してくれた。ただしホームページを見る限りは、ホスピス整備の気配は見られない。まずは経済面などでの自立的基盤をつくることが先決のようである。

Dsc00316そうか、そういう可能性もあったか、今頃になって気づいた(鈍感)。エコビレッジ的なホスピスやケア施設をつくれば、いいのか。施設運営によって現金収入を得て、エコビレッジの運営費に回す。ゆたかな自然の安らかに身体を休める人々の姿を、見舞客などが目の当たりにすれば、自然の大切さが人々に改めて認識されることになる。そういえば一度だけ、武蔵小金井の「聖ヨハネホスピス」に足を運んだことがある。建物は自然素材が多用され、とても居心地のいい空間だった。庭に出て、植物の手入れをする患者さんの姿を見て、心が動かされたことを憶えている。

エコビレッジの課題を裏返すと、可能性にもなる。もともとが人を健康にする側面を持っている。だから高度ケア受けることができなければ、ケアを提供する側に転じれば、もともとのポテンシャルがぐっと大きくなる。

ちなみにハワイ島には「Dragonfly Ranch」というB&B(民宿)があって、パーマカルチャーにも取り組んでいる。宿の主はバーバラという本土出身の女性(オバチャン)で、末期ガンの母親を、この地で看取ったそうだ。彼女によると「この場所には人を癒す力がある」という。可能性を最大限に引き出そうとすれば、やはり場所選びは大切になるのだろう。ついでに言うと、彼女のロミロミ(ハワイの伝統マッサージ)はとても良かった。

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マリー・アントワネットのエコビレッジ

「ネタが続かないのでヘリクツで考えるエコビレッジ その13」

Ma_wp03l_1映画『マリー・アントワネット』を観た。韓国から日本に向かう飛行機のなか、短いフライトだったので、エンディングまでを観ることはできなかったが、映像は美しかったし、現代的なポップな音楽もよかった。山のように出てくるケーキやスウィートも、とても美味しそうだった(右の画像を見る限りは、さほど美味しそうに見えないが、映画では美味しそうに見えた)。

マリー・アントワネットは14歳で、フランス王太子のもとへ嫁いでゆく。ただし宮殿では儀式張った生活が待っていた。おまけに王太子(性的不能であった)とは没交渉の関係が続いてゆく。そして心の空しさを埋め合わせようと、浪費にのめりこんでゆく。ファッション、スウィーツ、シャンパン、ギャンブルなど、取巻連中とのパーティは夜更けまで及んでゆく。食べきれないほどのスウィーツが用意され、ペットのイヌにも与えられる。あぁ、もったいない……。

しかし彼女にも安らぎの場があった。それは牧歌的な農村での生活である。映画のなかでは、マリー・アントワネットが簡素な衣服に身にまとい田園風景のなかを歩いたり、畑からラディッシュを抜いてそのまま口に運んだり、搾りたての牛乳を飲むシーンも登場する。マリー・アントワネットにとって最高の贅沢は、宮殿内の菜園で採れたての野菜を食べることだったと、何かの本で読んだことがある。だから、そんなシーンもあるのではと思っていた。やっぱり。

この映画はすべて実際の場所で撮影されたという。農村もベルサイユ宮殿の広大な敷地のなかにマリー・アントワネットがつくらせたHAMEAU(日本語では小集落)であるらしい。このHAMEAUは現在も当時のまま保存され、見学できるようだ。家畜が飼われ、畑もあり、水車もある。そして釣りのできる池を取り囲むように、数軒の建物が建てられている。今風にいえば地産地消であるし、そしてエコビレッジだとは言えないだろうか。

マリー・アントワネットにとって、農村でゆったりと過ごす時間が最高の贅沢のひとつであった。もちろん彼女の場合、農村に出向いても、おそらく農作業はしなかっただろうし、身の回りの世話は従者がしていたはずである。エコビレッジのような農村は通常は自給自足に重きを置いた、生産のための場所であるけれども、彼女にとっては最高の消費の場であった。逆説的であるけれども、エコビレッジは質の高い消費を喚起する場所になる。例えば、良質なエコリゾートとなる。

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他者への寛容

「ネタが続かないのでヘリクツで考えるエコビレッジ その12」

すべてがそうだとは思わないが、「エコビレッジは周辺地域から浮いた存在である」と言われることが少なくないようだ。一般常識に欠ける。あるいは閉鎖的……とか。僕も海外で2度ほど「あそこはお勧めできない」と言われたことがある。しかも助言をくれたのは、いずれも環境問題に関心を持つ人だった。やはり市場経済が浸透する今日において、自給自足を旨とする暮らし方は異質なのかもしれない。しかし彼らが異質な少数派だとしても、異質の方がむしろ正しかったりする。どちらが正しかったのかは、長い時間が経ってみないとわからないけれど。

日本ではエコビレッジと呼ばれるところは非常に限られている。そして現時点では、世界的なエコビレッジのネットワークであるGENへの加盟団体もゼロである。これは英語が不得手ということもあるけれども、もしかすると異質を許容しにくい国民性が背景にあるのかもしれない。ずっと島国で、異質に触れる機会が少なかった。

例えば昨日19日に発表された「治安に関する世論調査(2006年12月実施)」にも、そのことが現れているように感じる。調査結果によると、「ここ10年間で日本の治安はよくなったと思うか、それとも悪くなったと思うか」を聞いたところ、「よくなったと思う」割合が11.3%で、「悪くなったと思う」割合が84.3%である。まあ、これは仕方がない。世の中いろんなことが起きている。さて問題は「治安が悪くなった原因は何か」である。回答のトップに来るのが「来日外国人による犯罪が増えたから」ということである。

しかし、これは事実とかなり異なっている。例えば警察省のデータによれば、2005年の外国人の刑法犯検挙人数は約8500人であり、これは日本全体の1%にも満たない。また過去10年間で外国人入国者数は1.8倍であるのに対し、外国人刑法犯検挙人数の1.4倍増で、同時期の日本全体の刑法犯検挙人数の増加割合と同じである。この10年間に日本人の人口はほとんど伸びていないことを考えれば、人口比でみた増加率はむしろ日本人の方が高いことになる。しかし世論調査では、治安の悪化を外国人に求めている。マスコミ報道等の影響もあるだろうが、異質な人々に対する寛容さの欠如と言えるかもしれない。

かなりエコビレッジからは遠く離れた話題である。またエコビレッジに住む人たちは、まず自分たちの暮らしを楽しんでいる。周囲の評価はあまり気にしない。エコビレッジは外に対して開いているけれども、かえって周囲の方が発想を閉じていることも少なくない。他者に対する用心は必要だが、寛容にもなろう。

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逆都市化

「ネタが続かないのでヘリクツで考えるエコビレッジ その11」

日本では2005年から人口減少期に入ったが、都市部では未だ新規開発が行われている。必ずしも良質な住宅ストックがないこと、また人口は減少しているが、世帯数は増えているために空間需要は拡大しているようである。しかし、いずれ世帯数もピークを迎え減少に向かうことになる。そうすると都市のなかで余剰スペースが増えてゆく。遊休空間として、そのまま手入れも行わずに放置しておくべきか。すると大友克洋が描いた『AKIRA』、つまり廃墟のような都市が現れてくることになるだろう。

日本に先駆けて、急激な人口減少を経験したのが旧・東ドイツである。ベルリンの壁の崩壊によって、短期間の内に人口が西側へ流れ出した。例えばドイツ中央部のライネフェルデ。人口1万6千人のうちの約4千人がわずか1年のうちにいなくなったそうだ。当然のことながら空間に対する需要も大きく減少し、大量の空き家も発生することになった。住宅を改修し、1戸当たりの居住面積を増やしても、また余ってしまう。さて、どうしたか。

ライネフェルデ市のとった施策のひとつが減築という方法である。すなわち建物を除去することでオープンスペースや緑地などを回復したのである。例えばライネフェルデ南地区の団地では1棟まるごとを除去し、その場所を日本庭園として再生した(なお元の建物は、良質なコンクリートパネルでつくられていたため、パネルは再利用されたそうである)。都市の人工物を除去し、自然を回復させてゆく「逆都市化」と言えるだろう。

もちろん都市には非人間的な側面が少なくない。しかし高齢化、インフラの有効活用、就業機会の多様性などを考慮すると、やはり都市が果たすことのできる役割はとても大きい。しかし行き過ぎは改めるべきであり、既存ストックを生かしながらも自然循環を回復してゆくべきだと思う。それが逆都市化であり、人口減少時代の可能性のひとつであり、その文脈のなかでエコビレッジがつくれないかと考えている。

このブログ名は「エコビレッジへの旅」であるが、都市のなかに可能性を求めるのは矛盾していると思う。しかし都市を変えてゆかないと、農村も変わらないのではないだろうか。おそらく人類史のなかでは都市が先にできて、都市と相対化されて、農村という概念が出来てきたのだろう。根源を改めるべき。だから逆都市化に活路を見い出すべきではないだろうか。

SF的空想。都市の人工物のほとんどは、もとはと言えば、土のなかから出てきたものである。それらを元の土に戻せるような機械があったスゴイと思う。簡単に逆都市化を進めることができるのだが・・・・。

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パーマカルチャーのこと

「ネタが続かないのでヘリクツで考えるエコビレッジ その10」

パーマカルチャー。それは自然資源だけでなく、人間の社会的活動を含めて、あらゆる要素を互いに助け合う関係に配置することで、生態系が持っている生産力を持続的、かつ最大に引き出すためのデザイン体系のことであり、いまや世界中に広がっている。もちろんエコビレッジと呼ばれる場所を訪れると、みなパーマカルチャーのことは知っているし、ワークショップも開かれている。

自然を生かし、より少なく消費し、自分たちでつくる豊かな生活。そんな暮らしや社会を実現するための有力な手段のひとつがパーマカルチャーだと思っている。グラスルーツでの運動だと受け取っている人もいるようだけれども、科学に基づいた、とても合理的な考え方でもある。機能とパターンを最適化するシステム思考だと思っている。しかし疑問を投げかけられることも少なくない。

00_3(1) 有機農業とどう違うのか? : 生態系を生かすという点では同じ。ただし農業に限るのではなく、視点を広げて、自分の暮らしの全般で発想する。だから誰でもできることはある。家庭菜園からでも、ベランダ農園からでもスタートできる。もちろん農以外でも。
(2) それって江戸時代に戻るみたい : いいものがあれば、新しい知見や技術も積極的に取り入れてゆく。先人の知恵を伝承し、新たなものと統合してゆくことで、伝統がつくられてゆく。単なる伝承ではなく、創造的な行為である。
(3) システム重視で思想に欠ける : マクロな視点から、生命の営みを合理的に追求するという行為はとても奥行きが深い。もちろん、すべてを科学で解明できるわけではない。限界を知りながらも、謙虚な姿勢で生命へ近づこうというアプローチは、ある意味で思想だと思う。
(4) しょせんは遊び : すべてを専門化し、またスケールメリットを追求してきた市場経済が今日の環境問題を引き起こした。ロングテールではないけれども、遊びの中から新たな経済ができるのではないか。

パーマカルチャーに関心を示す人は日本ではまだまだ少数派である。しかしスピードは遅いながらも、関心は着実に高まってきている。パーマカルチャーは生活のすべてを対象にしているから、たしかに明確な特徴を具体的に訴求しくいという側面がある。だからプレゼンテーションの方法がとりわけ重要になるのだろう。その点において、大きな成長の余地はある。ちなみに日本語版の本よりも、英語の本のほうがずっと面白い。

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