タイムスリップ食堂

二十数年前、京都で四年間の学生生活を過ごした。その頃に不思議に思ったことがある。「この食堂は、どうして潰れずに、もっているのだろう」。古くて、小さくて、ただし値段は安くて、お客さんが入る気配のない、寂れた食堂がかなりあった。今月から京都に住むようになって、街のあちこちを歩いてみると、当時の食堂がいまだに、そのまま建物で残っている。しぶとい、根強い。

Dsc03300 現在の住まいの近所にも、そんな食堂がある。店頭にメニューが張り出してあって、出巻き定食370円、さかな定食480円。「いろいろおかず250円(?)」。京都の街なかにあって激安の価格である。興味があって、入ってみた。店に入ったとたんに身構えた。

店内には小さなテーブルが5つ。そのうちの4つにテーブルには、老人男性が座っている。4人ともがズボンに下着のシャツ。店内は、どこかで土産品として買ってきたような木工品が所狭しと置かれて、あるいは壁に掛けられて。ラジカセの横にはカセットテープが山積み。エアコンはなく、年代もものの扇風機が首をきしませながら回っている。古びて、そして淀んだ雰囲気に気おされて、店から出ようかと躊躇したときに、恰幅のいい老人から大声を帰られた。「いらっしゃい」。そして老人は店の奥に入ってゆく。

しかたなく空いていたテーブルに腰を下ろした。本当は4人がけのテーブルだが、テーブルの半分は工芸品に占拠されていて、2人でも狭いくらいである。しばらくして、恰幅のいい老人は、お茶を持ってきた。好奇心から、本当は、いちばん安い出巻き定食を頼んでみたかったのだが、遠慮して、さかな定食を注文する。

異空間。大正生まれの祖母は、もったいないと言って、モノを捨てなかった。まるで祖母の茶の間に来たようである。柱時計がボーンと鳴って時刻を告げた。そういえば祖母の茶の間にも柱時計があった。

エアコンがないので、店内は暑い。お客さんの一人が気を効かせ、扇風機の首を調整して、僕の方にも風を送らせようとしてくれている。「ありがとうございます」と礼を述べた。ところが逆に、扇風機の首を固定してしまい、風は僕の方にまったく来なくなった……。吉本ギャグ系のボケ行動パターン。

3人の客は顔見知りらしく、テーブルの間で会話を交わしている。だったら、ひとつのテーブルに座ったらいいのに。しばらく料理は出できそうにない。額の汗をハンカチでぬぐいながら本を読む。

十分ぐらいして、太り気味の腰の曲がった、お婆さんが前のめりの、たどたどしい足取りで、ご飯と味噌汁、漬物を持ってきた。「焼いたアジか、煮付けたサバがありますけど、どちらになさいますか?」。全身黒ずくめで、恰幅のいいお婆さん。かなり濃ゆーいキャラクター。「えっ、いまから聞くの?」と思ったけれど、口には出さすに、サバを注文する。そして、ご飯が出てから3分ほど経って、サバの煮付けは運ばれてきた。湯バーバならぬ、飯バーバの雰囲気を漂わせながら。

食事の味はごく普通。でも値段が安いから、コストパフォーマンスは高いと言えるのだろう。店の看板には「おふくろの味」と回ってあったけれど、むしろ「ばあさんの味」。数十年ほどのタイムスリップ感覚を味わえた。

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映画『長江にいきる』

200_2  2009年に完成予定の中国の三峡ダム。ダムの完成によって、数多くの地域が水没し、百万人を超える住民が移住を余儀なくされた。この映画は1996年から7年の年月をかけ、移住に反対しつづけた家族を追ったドキュメンタリーフィルムである。

主人公はビンアイという女性で、身体の不自由な夫、そして育ち盛りの2人の子供の四人家族で暮らす。彼女が一家の大黒柱として、長江のほとりで農業を営み、つつましやかな生活を送っていた。ところがダム建設による移住命令が下される。移転先は必ずしも条件の良い場所ではないし、移転すれば、生活の糧であった農地を放棄することになる。身体の不自由な夫に大きな稼ぎは期待できない。

行政からの立ち退き要請によって、周囲はどんどん転居してゆき、集落に1軒だけ残される。移住者は、いったん住宅を解体し、屋根瓦やレンガ、木材などを持ってゆき、移転先で新たに組み立てる。だから文字通り、1軒だけになってしまう。期限が近づいても、一家は立ち退こうとしない。行政側から再三再四、立ち退きを要求される。しかしビンアイは折れることはない。

ビンアイは家族を愛し、そして非常に強い女性である。五十キロ近い荷物を背負い、斜面の多い土地を楽々と歩いてゆく。荒地のような畑で黙々と農作業を行う(経済的に貧しいためか、農薬などは使っていないようだし、自然の野草も食料としているようだ)。重労働を行っているから、手の甲には深いしわが刻まれていたが、顔には生気が満ち溢れている。年齢の割には張りがあり、しわも少なかったと思う。何があっても家族を守り、生き抜いてゆくという強さがあり、優しさが感じられた。

映画のなかでビンアイは「私は都会に住むことができないし、都会では怪しい仕事が多い。そして社会全体がおかしくなっている」という言葉を口にしている。彼女は、移転によって村を去った人たちから農地を譲り受けた。ただし一箇所にまとまった農地としてではなく、あちこちに分散した農地として。そして農村でも懸命に働けば、それなりに生活ができると断言した。中国では景気後退によって、都会で職を失う人が多数出ているようだ。土地に根づいた生活を送っていたビンアイの選択は、彼女にとって正しかったのだろう。

あえて明るい照明のもとで撮影され、非常に鮮やかな映像として表現されているシーンも少なくなかった。実態を明らかにすることがドキュメンタリーフィルムの大きな特徴のひとつでもある。

この映画の監督は中国人女性で、僕とほぼ同年代である。日本に留学し、農業経済学を学んだそうだ。僕も同じ大学に通い、農業経済学を専攻した(ろくに勉強せず、自由な校風を満喫した)。大きな農業ではなく、小さな農業の可能性を示していたような気もするのだが……。

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映画『ミーアキャット』

舞台はアフリカのカラハリ砂漠。家族単位で暮らすミーアキャットの生態、を物語仕立てで紹介する映画である。砂漠の過酷な環境。食うか食われるかで、いつも死と隣り合わせ。懸命に生きるミーアキャットの家族。だからこそアフリカの大地や空は、純粋で美しい。

Wp4_3よく、このような映像を撮影することができたものだと感心してしまう。例えば、猛毒をもったコブラが幼いミーアキャットの兄弟たちに狙いを定める。幼い兄弟はコブラに遭遇するのは初めてで、ただ地中の巣穴に逃げ込むしかない。

迷路のような巣穴であっても、やがて兄弟たちはコブラに見つかり、とうとう追い詰められる。絶体絶命と思ったときに、すでに大人になった兄弟たちの兄が巣穴に駆け込み、爪でコブラをひっかく。するとコブラも巣穴から地上に出て、ミーキャットの家族とコブラの戦いになる。家族に加勢しようと、親族のミーアキャットもやってくる。

ミーアキャットは家族を大切にする。年長の兄は、幼い兄弟たちを敵から守り、エサを与え、エサの獲り方を教えてゆく。群の見張り役のやり方も教えてゆく。もちろん、ときには危険な状況に陥り、そして命を落すものも出てくる。落した命は、他の生物たちの生きる糧となってゆく。そのような経験のなかで、大人になる術を身につけてゆく。

主人公のミーアキャットは大人になっても、背の高さは約30センチメートルの小さな動物である。しかし雄大なアフリカの自然を感じとれる映画である。いつかはアフリカの大自然を訪れてみたい。

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ストーンズも温暖化に関心あるらしい

1963年にデビューして以来、一度も解散することなく活動してきたロックバンド、ローリングストーンズ。映画『ローリングストーンズ・シャイン・ア・ライト』は、2006年にニューヨークで開かれたコンサートでの映像を中心に構成されたドキュメントフィルムである。なかなか面白かった。躍動感たっぷりの楽曲の合間に、デビュー直後から最近にいたるまでの、メンバーの声も紹介されてゆく。コンサート会場の熱気をじゅうぶんに伝わってくる2時間はあっというまに過ぎてゆく。

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この映画が撮られた時点でのメンバーの年齢。リードボーカルのミック・ジャガーは63歳。ギターのキース・リチャーズも63歳。同じくギターのロニー・ウッドは59歳であるけれど、ドラムのチャーリー・ワッツにいたっては65歳である。いわばシルバー世代である。にもかかわらず10代20代の若者たちを熱狂させるエネルギーを持っている。とてもアラウンド・シクスティ(60)には思えない。

ミックはステージを駆け回り、身体をくねらせ、手足を大きく振り上げる。それも演出のひとつだと思うが、短いTシャツがめくり上がり、彼の腹部がさらされる。まったくと言っていいほど、腹部にはぜい肉はない。さすがに顔を老けてきたが、63歳には見えない。キースは妖怪のような雰囲気を醸し出し、やや腹部はたるんでいるが、じゅうぶんにスリムである。ロニーは、むしろ昔よりシェイプアップされた印象すらある。さすがに最年長で、すっかり白髪となったチャーリーの息は上がり気味だったが、彼のドラムさばきは滞ることはなかった。日ごろ鍛錬しているのだろう。

かつてローリングストーンズは反社会的なロックグループだと見られていたし、メンバーの一部は刑務所に入ったことすらある。しかし、いまや彼らは社会から高く評価されるようになり、ミックは2003年にイギリスからナイトの称号を与えられた。この映画のコンサートにはアメリカ元大統領のクリントン・ファミリーも駆けつけ、ビル・クリントンはコンサートの冒頭で、友人として彼らを紹介する。「彼らは地球温暖化にも大きな関心を持っている」と。とても意外だったけれど。

映画には登場しなかったが、「イッツ・オンリー・ロックンロール」という楽曲がある(1974年)。聞かせどころの歌詞。I said I know it’s only Rock’n Roll but like it. 「言っただろう。たかがロックンロールってことは知ってるよ。でも好きなんだよ」。

いつまでも好きなことを続け、楽しむこと。好ましい年の重ね方のひとつである。観客だけではなく、彼らはステージでじゅうぶんに楽しんでいた。

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映画『ウォー・ダンス』

舞台はアフリカ中部の国、ウガンダ。北部地域のパトンゴ・キャンプには、6万人ものアチャリ族が暮らしている。彼らは反政府軍に居住地を追われて難民となり、歩いてキャンプまでやってきた。2003年からの地域紛争により、3万人の子供が誘拐され、20万人の子供が親を失った。しかし心に大きな傷を抱えているにも関わらず、彼らにも希望はある。パトンゴ小学校の音楽チームが、年に1度の全国音楽コンクールへの出場権を得たのである。『ウォー・ダンス』は、出場1ヶ月前から彼らの練習風景、そしてコンクールでのパフォーマンスを撮影したドキュメンタリー映画である。

At チームのなかの3人の告白にスポットが当てられている。彼らの家族は、反政府軍に殺されたり、あるいは誘拐されたりしている。3人のうちの1人の少年は、反政府軍に誘拐され、悲惨な殺戮に加担させられた経験すら持っている。常軌を逸した惨状は、やはり思い出すだけでも胸が痛くなるようで、3人はすべてを語ることができない。にもかかわらず、とてつもない殺戮が行われていたことが伝わってくる。例えば「ぐつぐつと湯だつ鍋のなかから出てきたものが、母親の……」。

過去を振り払うかのように、彼らは練習に励む。もちろん生活環境は悪い。親がいないために、幼い兄弟の面倒を見ないといけないし、家の仕事もしなくてはならない。楽器も粗末なものが多い。しかし、やはり彼らは練習する。全国で優勝することを目標にして。国で一番の奏者になることをめざして。

音楽コンクールの会場は、首都カンパラの国立劇場で、聖歌、楽器演奏、民族舞踊など8つの種目で競われる。北部パトンゴからやってきた彼らは、いわば田舎者であり、高層ビルや電気を初めて目にして、度肝を抜かれる。他校のレベルの高さにも不安になり、雰囲気に飲まれそうになる。しかし次第に適応し、いよいよ最後種目である民族舞踊に向かってゆく。踊る順番は、前年優勝校の次である。アチャリ族として誇りを持って、存分に身体を動かし、声を上げる。最高の踊りをめざして。

当たり前のことであるけれども、希望を持ち、そして行動することは大事だと思う。彼らの涙は痛ましかったけれども、汗はまぶしかった。

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映画『船、山にのぼる』

マイナーな映画であるけれども、『船、山にのぼる』は人気があったらしい。この春、小さな映画館で上映されていたが、見そびれた。アンコール上映になったので、見に行った。広島県の山あい村で、実際に繰り広げられた出来事の記録映画である。

ダム計画が持ち上がったのが1965年。長期にわたり、ダム建設の賛否をめぐる論争があったが、1984年に決着し、ダムが建設されることになる。ダムの底に水没する集落の住民は、近くの高台に生活再建地をつくり、1993年から移転を開始する。集落に残された建物や樹木は撤去され、またダム湖となって水に沈む斜面の樹木もすべて伐採されてゆく。

同じ頃、ダム周辺を自然と文化の調和がとれた地域にするためアースワークプロジェクトが始まった。そのなかで、伐採される木を使って全長60メートルのイカダの船をつくり、山の登らせようというプロジェクトが持ち上がった。集落のあった場所で船をつくり、ダム完成時に行われる試験湛水(最高位まで貯水する)のときに船を浮かせて、山の上に移動させ、その後の水位低下(通常水位)を利用して山に設置するという狙いである。

集落の人たちは、ずっと木と一緒に暮らしてきたから、木と離れがたい。元の自宅敷地に生えてきた樹木を、生活再建地へ持ってゆき、移植する人もいる。根づくかどうか、わからないけれども、川沿いに立っていた、樹齢400年とも500年とも言われるムクノキの巨木を掘り出して、生活再建地での移植も試みる。あまりに大きな木であるために、ムクノキを乗せた大型トレーラーは坂道を登れない……。森の引越し。それが映画のテーマとなっている。

それなりに大きなイベントであるが、集落の住民たちは淡々としている。おそらくダム建設を受け入れることが最大の転機であったのだろうし、やはり住まいの引越しの方が大きな出来事だったのだろう。だから森の引越しには、後祭りのような、いくぶん気だるくて、冷めた雰囲気も漂っている。しかし、ゆるやかに締めくくることも大切なのだろう。

残念ながら、生活再建地で移植されたムクノキの巨木が無事に根づいたのかは、映画のなかでは触れられていない。結果も大事であるが、むしろプロセスがより大切だ、ということだろうか。山にのぼった船も、いつか朽ちてゆくはずである。それもプロセスも一部なのだろう。

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映画『闇の子供たち』

幼児売春、臓器売買をテーマにした映画である。舞台はタイ、ミャンマーの農村で1人の少女がブローカーの手に渡り、チェンライの幼児売春宿に連れられて来る。そこで少年少女を買うのは先進国からの観光客である。痛々しくて、吐き気をもよおすシーンも少なくなかった。しかし『闇の子供たち』は秀作だと思う(映画に出演した子供たちに、それなりの配慮があったことを強く希望する)。

Yami1024_2舞台はタイであるが、日本人を中心にしてストーリーが展開されてゆく。日本の少年がタイで心臓移植手術を受けることになった。本来なら、移植心臓は脳死したドナーから提供されるはずであるが、どうやら生きた健康の子供の心臓を使うという情報が、タイ駐在の新聞記者の南部(キャスト、江口洋介)の耳に入り、彼はスクープを追いかけることになる。同じ頃、東京の大学で福祉を学んだ恵子(宮崎あおい)は、タイのNGOで活動するためにやってくる。南部はそのNGOにも協力を求めにゆく。

日本からやってきた恵子は、NGOの現地スタッフから「どうしてタイに来たの? 日本でもやることはあるでしょ」と出鼻をくじかれる。南部の同僚からも「どうしてタイなんだよ。どうせ自分探しだろ」と冷たくあしらわれる。そのうえ世間知らずで正論を振りかざし、南部たちの取材を結果的に邪魔してしまう。しかし、それでも彼女なりに考え、懸命に行動し、少しずつ道を開いてゆく。

とにかく手術を中止させるべきだと、恵子は声高に主張する。いっぽう南部は、生きた子供を売買する仕組みがあるという事実を明るみにすることで、仕組み自体を葬り去るべきだと言う。南部は危ない橋を渡りながら、生命を脅かされながらも、事実をつかんでゆく。記事にするには十分な情報を集め、気弱な青年カメラマン(妻夫木聡)の助けもあり、決定的瞬間の映像をとらえる。幼児売春から連れられてきた少女が、移植術の行われる病院の門をくぐった。ところが最後の最後にして、南部自身が抱えていた矛盾に行き着いてゆく。

この映画はフィクションであるけれども、事実に基につくられている。例えばスラムのシーンが出てくるように、タイの現実も映し出されている。タイの首都バンコクの人口は約800万人だが、そのうち2割ほどはスラムに住んでいると言われている。その方面の情報には明るくないのだが、どうやらタイでは性をひさぐことで生計を立てている人口がかなり多いらしい。映画では日本人客も出てくるが、現実もそうなのだろう。

多くの人々がスラムに住み、子供の生命や性が取引の対象になる。そのような貧困は日本にはほとんどないと思う。日本に生まれてよかったと思うか。それとも、そのような貧困を招いている原因のひとつが資本主義であり、日本も加担していると考えるか。いろいろな感じ方はあるだろうが、現状を目にすることは大切だと思う。この映画は現状そのものではない。ただし一面的であっても、現状を映し出している。

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映画『バグズワールド』

映画『バグズワールド』。フランス語の原タイトル ’La.Citadelle.Assiegee’ (城砦の包囲)に示されているように、西アフリカの巨大アリ塚を舞台に繰り広がられる2種類のアリ戦いの物語である。登場するアリは4種類であるが、オオキノコシロアリとサスライアリの2つの群れに焦点が絞られて、ストーリーが展開されてゆく。

オオキノコシロアリは、数ヶ月かけて高さ3~4メートルのアリ塚を築く。アリ塚の中には数キロにも及ぶ地下道が張り巡らされ、空洞が複雑に入り組んでいる。煙突効果によって、数日ないし数時間でアリ塚内の空気は交換され、湿度や温度が一定に保たれている。オオキノコシロアリのエサになるのは、枯枝や植物の茎である。それだけではなく、彼らは自分たちの排泄物をもとに、アリ塚内でキノコを生産している。

いっぽうのサスライアリは、文字通り、固定的な巣はつくらずに、移動しながら生活している。一匹一匹のありは小さいけれども、束になって蛇を殺したり、あるいは小さな身体を絡ませて、アリの身体による仮設の橋をつくり、川を渡ってゆく。獰猛で、軍隊のような集団である。映画の中でも、黒の軍団と呼ばれている。

ずっと日照りが続いていたある日、ふいにハゲワシが現れる。不吉な出来事の予兆である。アリ塚に予期せぬアクシデントが降りかかり、堅牢なアリ塚に穴が開く。オオキノコシロアリは懸命にアリ塚の復旧作業を進める。ところが2千万匹ものサスライアリの大群が戦いを挑んでくる。まもなく壮絶な戦いの火蓋が切って落とされる。迫力あるBGM。戦士の雄たけびにも似た音響。アリたちの鎧が砕かれる音。戦況厳しく、追い詰められてゆくオオキノコシロアリ。はたして勝利の女神は、どちらに微笑むのか……。戦争映画さながらの演出である。

エンターテイメント映画としては、面白く出来上がっていたと思う。昨年の秋以降に公開された『北極のナヌー』や『アース』などが、いわゆる癒し系のエコ映画だとしたら、この『バグズワールド』はアクション系のエコ映画だと言えるだろう。自然の出来事というより、人間の手が入ったストーリーのようにも感じられるけれど、それにしても映像はよく撮れている。

ただし、オオキノコシロアリの生態について、もう少し詳しい情報があった方が良かったのではないだろうか。例えば、オオキノコシロアリのエサになる枯れ枝や植物の茎は、他の生物たちが消化できないものである。そしてシロアリだけでも消化しきれず、シロアリは体内に原生動物を住まわせることで、消化を促している。他の生物が消化しきればないエサは、当然のことながら栄養バランス(C-Nバランス)が悪いわけで、それを補うためにアリ塚でキノコを育てている。いわばアリ塚のなかで共生システムをつくっている。

付け加えると、シロアリが食べるのは、いわば枯れた木であって、生きている植物は食べない。そしてシロアリは植物繊維を消化する過程でメタンガスを生成し、それは地球上で発生するメタンガスの1~2割にも上ると言われている。二酸化炭素と比べると、メタンガスは21倍の温室効果がある。シロアリは、地球温暖化のひとつの要因であるが、人間による森林伐採にも深い関係がある。

しかしオオキノコシロアリにしても、サスライアリにしても、すごいと思う。特別な指示命令系統があるわけではない。にもかかわらず臨機応変に、組織だった行動がとられ、その群れならではの秩序がつくられてゆく。集団に知恵が宿っている。偉大なDNAのなせる技だろう。

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エコゴコロをくすぐる映画

このところ環境問題やエコをテーマにした映画が増えてきたように思う。そしてエコに関連する映画を紹介するウェブサイトも出てきた。例えば、エンターティメント業界紙「バラエティジャパン」のサイトには「エコゴコロをくすぐる映画20」というコーナーがある。タイトル通り20の映画が紹介されている。上映中の映画、これから上映される作品、すでにDVDになったものなど。僕自身がすでに見た映画もあれば、これから見ようと思っていたものもある。

Wall05_1024x768あくまで個人の趣味であるが、20作品のなかには、お勧めできる作品があれば、そうでない作品もある。今年初めに公開された『アース』はとても良かった。厳しい自然のなかで生きる生物たちを追いかけながら、カメラは北極から南極までの各地を駆けめぐる。映像が非常に美しく、圧倒されるほどの迫力があった。微妙な均衡のうえに成り立っている、地球の自然はかけがえのないものだと感じさせられた。一昨年のドキュメンタリー映画『ダーウィンの悪夢』も良かった。タンザニアのヴィクトリア湖にナイルバーチという外来魚が放たれ、外貨獲得のためにナイルバーチの白身が海外に輸出される。湖畔の町は経済的に潤うけれど、逆に貧困にあえぐ人たちも出てくる。身体を売る女性たち、クスリに走る少年たち。胃がずしんと重くなるような映画だったが、訴える力はあった。

いっぽう某国の元副大統領による映画は、まったく面白いとは思わなかった。映画というより、まるでパワーポイントによるプレゼンテーションである。ただし世間では高く評価されているから、僕の感覚が世間ズレしているのだろう(蛇足であるが、世の中パワーポイントに依存症になってきてはいないか。パソコンが接続されないと、話せないスピーカーがあまりに多い)。

この「エコゴコロをくすぐる映画20」以外にも、面白い映画は少なくない。これから、とくに中国で環境問題が深刻化すると予想されており、かりに「中国」×「環境問題」というキーワードで、お勧め映画を選ぶとしたら……。最近の作品では、次の3つぐらいだろうか。

長江哀歌』は、長江に建設される三峡ダムによって、やがては水没する街と、そこで行き交い、すれ違う人々の物語である。建物の解体現場のシーンがかなり出てくるが、四川大地震の被害の大きさが十分に理解できる。ほとんど耐震対策がなされていないと感じた。

それでも生きる子供たち』は、7カ国の子供たちを描いたオムニバス作品で、最後のストーリの舞台が中国である。何不自由なく暮らしてはいるものの、心が満たされない少女。貧困でありながら、夢を抱き続ける少女。涙腺がゆるい人であれば、涙を流すと思う(義母がそうだったらしい)。

トゥヤーの結婚』は、砂漠化が進む内モンゴルで、羊の放牧で生計を立てている家族の物語。砂漠化とともに、内モンゴルに市場経済の波もやってきつつある。ところがセーフティネットはまったく不十分である。生きてゆくには、ときに自分の意思を放棄することも求められる。人によっては、飲まずにいられない。

こうして書いてみると、ふと思う。エコをテーマにした映画には、どこか寂しさがある。環境問題が深刻になってきたことも理由のひとつだろう。あるいは生存競争が必至な世界だからかもしれない。すべてが生き残れるわけではない。無常である。

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映画『歩いても 歩いても』

普通の家族を題材にした映画『歩いても 歩いても』の試写会に行ってきた。タイトルの示されているように、歩いても歩いても、思うようには届かない。そんな家族の関係を描いた映画である。

もともと横山家の兄弟は、長男、長女、次男の三人だった。ところが15年前に長男が亡くなり、彼の命日に、長女と次男がそれぞれの家族を連れて実家に帰ってくる。その一泊二日間のやりとりがスクリーンのなかで展開されてゆく。

長女は、両親に対して何の遠慮もせずに自由に振舞う。そして長女の婿は、横山家の核心に近づくことはないが、三枚目的な役割を演じて場を和ませようとする。いっぽう次男は父親とはそりが合わずに、あまり言葉を交わそうとしない。見かねた次男の嫁は、夫の両親に気をつかい、言葉を引き出そうとする。嫁の仲介によって、家族の会話が続くことになる。どこにでもありそうな普通の帰省の光景と言えるだろう。

次男が息子に対して、「学校はどうだ?」と質問すると、「普通」という答えが返ってくる。他のシーンでも「普通」という言葉が少なからず登場する。この場合の「普通」とは、平均的であるけれども、むしろ面白みに欠けるというニュアンスがある。無事ではあるが、物足りない。普通とは常態であるから、やや足りない生活が繰り返されてゆくことになる。とはいうものの、普通も時代とともに少しずつ変質してゆくので、親子の間では、普通には相当のギャップがある。

普通であること、物足りなさを自覚しながら、少しずつ前に進んでゆく。普通のなかにも、それなりの満足感を得ることができる。

ありふれた普通が題材である。それを面白い映画にしようとすれば、かなりの創造性が必要になる。脚本と出演者の演技がとてもよかったと思う。ふんふんと納得できる部分も多かったし、笑いがあれば、人の心の弱さや狂気、残酷さも描かれていた。

映画のホームページでの僕の性格診断。それなりに当たっていると思う

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