能になかにある自由

Dsc03777 能の観劇に行った。能はユネスコの世界の無形遺産に指定され、日本を代表する芸能のひとつである。能舞台で演奏される囃子には、かなりのメリハリはあるけれども、舞には大きな動きはない。しかし静かな舞であるからこそ、幽玄さや内に秘めたエネルギーなどが表現できると言われている。その奥深さに触れるには、観る人のそれなりの見識が要求されると思う。

能楽堂の客席では、少なからぬ人たちが眠っていた。無理からぬことだろう。舞台の上で語られる言葉は、現代のものでないから、その意味を理解することは難しい。そして、能のストーリー展開は非常に緩やかである。睡魔に襲われても不思議ではない。ただし能が演じられている時間であっても、会場への出入り自由であるから、眠っていても、とくに問題はないと言えるだろう。

芸術は、襟を正し、背筋を伸ばして、静かに鑑賞するものだと思われているフシがある。しかし、もともとは気軽に楽しむものだったのだと思う。面白いところだけを楽しむだけで、それで十分。能は、世界の無形遺産である。にもかかわらず、開演中でも出入り自由。イビキをかかなければ、居眠りOK。

自由な雰囲気のなかでこそ、新しい何かが生まれてくるのだろう。

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錦秋の頃

山のモミジが、鮮やかな赤や黄色に色づく錦秋の頃。1年の中でも、とくに好きな季節である。山は美しく、身体を動かすにも、ちょうどいい時期だと思う。はじめのうちは肌寒いけれど、手足を動かすうち、身体の中から少しずつ温まってくる。ジンワリ、ポカポカ。とても心地よい。

この時期、京都市内の有名な観光名所は、多くの人であふれている。もちろんクルマは渋滞しているし、歩く観光客の方も渋滞している。場所によっては、紅葉を見に行ったのか、人を見に行ったのか、わからないくらい、である。

78_2 ただし、まだ穴場のような場所はある。そのような場所は、観光バスが入れない場所であったり、徒歩でしか行けない場所である。例えば、東山の南禅寺の近くの日向大神宮。南禅寺より地下鉄の駅に近いけれど、バスは入れないし、勾配のきつい坂道を登らないといけない。大賑わいの南禅寺とは対照的に、閑散としている。

しかしモミジは美しく紅葉しているし、十月桜というサクラが開花している。真っ赤なモミジと、淡いピンクのサクラの組み合わせは、なかなか風流である。多くの人が来ないから、手持ち無沙汰になった、巫女さんがモミジを撮影している姿も風流だったりする。

Dsc03751 お盆に送り火が行われる大文字山の山頂も、意外と言うか、やはりと言うか、あまり多くの観光客がやってこない。ふもとの銀閣寺道から、30分ほどの登山。山頂からは京都盆地全体のみならず、天候が良ければ、大阪方面も見渡すことができる。絶景だと思う。しかし急な山道を登る人は、それほど多くない。

絶景を見に来た人が急病になり、ちょうど救助隊に助けられるという場面に出くわした。山頂まで、あと一歩という場所で、足止めをされた。すると数分後に、救援用のヘリコプターが山頂すれすれまでに、高度を下げてきた。ヘリコプターは空中で静止し、まず2人の救援隊がロープで降りてきた。救援隊が地面に到着すると、ロープは上げられ、今度は担架が下りてきた。するとヘリコプターが高度を上げて、付近を旋回し始めた。急病患者の容態を確認したうえで、担架にしっかり固定する作業が行われている。

79 十分ほどすると、用意が整い、再びヘリコプターが山頂付近まで高度を下げてくる。空中で静止し、ロープを下ろして行き、まもなく担架を抱えた隊員が引き上げられてゆく。ヘリコプター中ならも手が伸びてくる。ほどなく担架と隊員はヘリコプターの中に収容され、ヘリコプターは高度を上げ、大きく旋回して、京都の伏見の方向へと飛び去っていった。格好よかった。人がヘリコプターで救助される場面を見たのは、生まれて初めてである。

僕のように山頂直前で足止めを食った人は、百人弱はいたと思う。ヘリコプターが山頂すれすれで静止しているときには、山頂付近は、プロペラからの強い風にさらされる。そのため消防署の隊員から、風の当らない安全な場所に移動するように注意される。しかし多くの人は、巻き上げられる草木や土埃にまみれて、ずっとヘリコプターの様子を見ている。花より団子ならぬ、紅葉よりヘリコプターである。

山登りに行くときは、やはり注意が必要である。改めて感じた。

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京都の「ぶぶ漬」と創造性

京都の「ぶぶ漬(お茶漬け)」。他人の家を訪問し、その家の人から「ぶぶ漬けでも、どうですか」と薦められたら、それは帰宅をうながされているという意味である。京都人にとって、お互いが納得づくのサインでもあるそうだ。このような気遣いや婉曲な表現は京都に少なくない。京都は山に囲まれた盆地で、都市のスケールの小さく、人口密度は非常に高い。狭い空間の中で暮らしながら、他人との摩擦や衝突を避けるための知恵が育まれたのだろう。

任天堂や京セラなど、京都にはユニークな企業が多く、業種構成も多様である。そして大学も多い。歴史や文化の蓄積が厚く、そのために創造的な都市だとも言われている。しかし創造性のいったんは、「ぶぶ漬け」の精神から生まれたのではないだろうか。

摩擦や衝突をさけることが重要であるとしたら、他の人がやっていないことに取り組まなくてはならない。最近で言うところの、ブルーオーシャンをめざすことが必要になる。京都の人間関係は閉鎖的であると評価されることが少なくないが、その閉鎖性が創造に向かわせることになる。逆説的であるけれど。

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駐輪場増設と自転車マナー

京都の街なかを東西に走る御池通り。もっとも道幅の広い箇所では、歩道を含めると50メートルほどある。比較的、余裕のある大通りである。いま御池通りでは、駐輪場設置の大掛かりの工事が行われている。400台分を設置するそうだ。周囲の景観に配慮したデザインとし、環境にも配慮して、太陽光発電によって料金精算機の電力をまかない、また照明はLEDを用いるそうだ。

Dsc03735 京都は周囲を山に囲まれたコンパクトな都市である。街なかの地形は、どちらといえば、平坦である。だから坂の多い神戸など違って、自転車が使いやすい。そして大学生が多く、彼らは自転車を使うことも多い。おそらく面積当りの自転車の保有台数は、全国ではトップクラスにあるのではないかと思う。

何事もそうであるが、数が多くなれば、マナーの悪さも目に付いてくる。おまけに最近の自転車の性能が上がり、簡単にスピードが出るようになった。京都の街なかを歩いていて、かなりの速度を出している自転車とすれ違い、ヒヤリとすることも少なくない。

かつて交通渋滞を解消するために、混雑区間を迂回するバイパス道路をつくるということが行われた。しかしバイパス道路が開通すると、新たな交通需要が喚起され、別の場所で交通渋滞が発生するという問題が起こったりした。だから最近では、バイパスをつくるよりも、むしろ交通需要マネジメントを行い、需要そのものを抑制したり、最適な交通モードへの誘導を行うことなどが重要だと言われている。

駐輪場を増設することは歓迎すべきことかもしれない。しかし、いっぽうで自転車の増加による新たな問題が発生する恐れもある。どうすれば、自転車利用のマナーは向上するのだろうか。

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Do you Kyoto ?

ときどき街なかで「Do you Kyoto ?」というキャッチフレーズを見かけることがある。直訳すると、「キョウトとしていますか?」ということになる。京都は、長く日本の都であり、文化的蓄積も多い。だから「キョウトしていますか?」と問われれば、歴史や文化なものを連想することが多いのだろうか。例えば舞妓さんとか……。

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「Do you Kyoto ?」でのキョウトは、環境に配慮した行動を意味するという。1997年に京都で開催されたCOP3で、先進国の温室効果ガスの削減目標を定められた。そのCOP3にちなみ、新しい意味を持った言葉として「キョウト」を定着させ、環境に配慮した行動を広げようとする狙いがあるらしい。聞いたところによると、パリでは環境を学ぶために学校を開設し、Kyotoという名前をつけたそうだ。

例えば「もったいない」は、mottainaiという英語として使われるようになったので、Kyotoもそうなるかもしれない。そして「もったいない」をひと言で説明できないように、「キョウト」も簡単に説明できないのかもしれない。京都で暮らすようになって約5ヶ月になるけれど、そんなキョウトの説明に出会ったことはない。

左側の写真。何となく「自転車に乗りましょう」というメッセージがあるようだが、補足情報はほとんどない。周囲を見回してもヒントになるようなものは得られない。京都は奥ゆかしい。もっと、しっかりと伝えたらいいのに。だって、京都のことを誤解している人は少なくない。「トリマル」「クリタグチ」「チオンイン」「ギョイケ(ほんとにギョッとする)」……。

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京都の文化

飲食店のランク付けするミシュラン。先週、京都・大阪版が公表された。最高のランクとされるのが三ツ星で、大阪が1店舗であったのに対し、京都は6店舗。世界全体では三ツ星は約80店舗だそうだから、京都の6店舗は非常に多い数だと言えるだろう。ただし、残念ながら6店舗ともに行ったことがない。庶民の手の届くような価格帯ではない。そのうちの1店舗は自宅の目と鼻の先にある。いつかは行ってみようと思う。

21 京都で三ツ星の飲食店が多いのは、京都の文化的な厚みが大きな背景になっていると思う。古くからの文化遺産も残っているし、華道や茶道などの本家家元も多い。そして大学の街でもあり、昔からの文化に新たな知見や技を組み入れ続け、文化を磨きいてきた。一年を通じて、数多くの行事も行われている(写真は、10月18日に上賀茂神社で行われた笠懸神事。走る馬上から矢を射るもので、流鏑馬よりは技術的に難しい)。

文化的な厚みは多種多様な人を集め、また見識が高い人たちも集まってくる。いろいろな人たち、見識の高い人たちに揉まれて、飲食店のサービスもレベルも高くなる……ということではないだろうか。

ただし文化の基盤は磐石ではないようだ。華道や茶道をたしなむ人たちは大きく減少し、認知度も落ちているそうだ。某有名家元でさえ「××さんは茶道の方でしたか。それとも、お茶でしたか」と質問されることもあるという。

Dsc03662 少し前に、京都の街なかに「ならいごとの十色」という店がオープンした。和の文化を、楽しみながら学ぶ教室である。ずっと気になっていた。ようやく先日、職場の若い女性に付き添ってもらい、ある催しに参加してきた。だって、オッサンは参加しにくい。予想とおり参加者は女性が多かった。

ならいごとの十色のクラスが開かれるのは、与謝蕪村宅跡に建てられた立派な京町屋。もともと呉服店として建てられた町屋で、仕事場としては手狭になってからは、数年前まで住まいとして使われていたそうだ。大規模な修繕は行われておらず、京都ならではの文化を感じさせる空間である。

文化は守るものではなく、活用された結果として残るものだと思う。底辺を拡大するためには、いろいろなチャレンジが行われるべきだろう。

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小さく残る町屋

69古都・京都には古い住宅、つまり町屋が数多く残っている。建てられた時期が不明なものも多く、築年数が「不詳」と表示されて、売りに出されている物件も少なくない。建てられた時期を遡ることができないくらいに古い。しかし建物の構造はしっかりしていて、じゅうぶんに使うことができる。だから更地にして売却するのではなく、土地建物として売りに出されている。

とはいうものの、古い建物は現代のライフスタイルに合わない部分がかなりある。和室だけではなく、イスやベッドがつかえる洋間があった方が使いやすいし、いわゆるシステムキッチンがあった方が便利である。そうすると修繕することが必要になる。ところが修繕の規模が大きくなると、建築確認申請をすることが必要になる。

Dsc03609 古い町屋は、既存不適格である。建てられた当時には適法であったけれども、その後の法令改正によって、現在は不適格とされるもので、増築や建て替えを行う場合には、現在の法律にあったものとしなければならない。すると、かつての町屋の様式が失われてしまう。さて、どうしたものか……。

規模の小さな修繕だと、建築確認申請が必要ない。その範囲内で修繕を行えばいい。基礎や構造を残し、それを活用するのなら、新築ではなく修繕となる。となると、小さな町屋だからこそ残ることになる。大は小を兼ねるとは限らない。

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コミュニケーションとしての踊り

自宅から徒歩2~3分の神宮道。平安神宮に向かう参道である。京都学生祭典が開催されていた。今年で7回目だそうで、中心となるプログラムのひとつが全国おどりコンテストである。ジャンル、年齢、国籍を問わずに参加できるコンテストで、100チーム余りのエントリーがあったそうだ。

9 仕事を終えた夕方近く、散歩がてら立ち寄ってみる。神宮道の一部ではクルマがシャットアウトされ、平安神宮の大鳥居に先の参道は、5ヶ所のステージに区切られている。それぞれのステージで、同時並行して各チームのパフォーマンスが行われている。平安神宮や大鳥居を背景にして、あるいは暮れなずむ東山をバックにして、思い切りダンスを踊る。踊る人たちにとって気持ちいいだろうし、見る側にとっても、それなりの趣があると思う。伝統的な空間のなかで、いまもつエネルギーを発散させる。

観衆は正直である。じゅうぶんに鍛えられたチームのもとには、多くの人が集まっている。そうでないチームのもとには、多くの人は集まっていない。やはり鍛えられたチームには、何かを伝える力がある。

人間がまだ言葉を持たない頃、言葉にならない声でコミュニケーションを行っていたのだろう。もちろん身体を使ってのコミュニケーションもあったはずである。そして言葉よりも先に、踊りが生まれたのではないだろうか。踊りを通じて、喜びを表現し、喜びを共有する。踊りは、言葉より古くて、より本能的なコミュニケーションの方法ではないだろうか。

このところ全国各地で踊りのコンテストが行われている。本能的なコミュニケーションへの回帰かもしれない。

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スローストア

1単身赴任で京都の街なかに引っ越してきてから、ちょうど4ヶ月。京都でも郊外に行けば、大型店の進出によって、古い小売店はなくなっているのだろうけれども、街なかではしぶとく残っている。

もっとも近所の商店街。大通りに面する場所には八百屋さんがある。店頭に掲げている看板には「促成野菜」と大きく書かれている。その昔、高度経済成長期には、温室などで短時間で栽培された野菜が重宝された時代がある(実感はないけれど)。当時の看板を、ずっとそのまま残してある。時代は代わり、スローフードなるものが重宝されるようになったのに、いまだ昔の看板を堂々と掲げている。きっぱりとした態度。資源を長く使うという点では、スローであるし、資源の節約にもなる。

2_2 いっぽう職場近くの雑貨屋さん。雑誌などを扱いながらも、プラモデルも扱っている。年代もののプラモデルは、何年もの間、店頭に並べてあるのだろう。パッケージはすっかり色あせている。返品ができる雑誌はピカピカで、対照的である。おそらく絶版となった商品であり、希少価値はありそうな気がする。プラモデルの横には、銀玉鉄砲。最近、リバイバルした新しいタイプではなく、旧式タイプのようだ。これもレアもの。

うーん、京都の奥は深いなあ。

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おいしい街づくり

単身赴任で京都市に引っ越してきて、知人たちと、ある企画を進めつつある。「おいしい街づくり」。街なかの家の前や、道路の脇、その他オープンスペースを、野菜やハーブ、果実などの有用植物で、緑化しよういうものである。道ゆく人々の関心を引き、おいしく食べることのできる街をつくろうというものである。

街としての一体感を出すため、また土が露出する時間を短くするために、いったん圃場で苗を育てて、ある程度、大きくなった苗をデリバリーし、それなりにデザインされたプランターで栽培する。それほど特別な技術を必要するわけでない。ツテをたどれば、それほど苦労することなく進むと思っていた。

ところが……である。なかなか圃場が確保できないのである。ベランダで苗を育てることもできるが、日当たりという点では、やはり農地の方がいい。苗を育てるだけなら、5坪もあれば十分である。京都は、緑に囲まれ、使われていない土地が多い。しかし、なかなか見つからない。小さな農園を貸し出している会社もあるけれど、畑を管理してくれるサービスが付いていて、僕にとっては過剰なサービスであり、料金も高い。

東京では、23区内にありながら、簡単に100坪の畑を借りることができていた。とても大きな幸運だったのだろう。

さて、昨日はハイアットリージェンシー京都ホテルで会合があり、コース料理をいただいた。京野菜を使った料理は美味しかった。ウエイトレスの1人に「この料理の食材はすべてオーガニックなのですか」と質問してみた。すると彼女は「わかりませんので、聞いてまいります」と給仕長にところへ。しばらくして戻ってきた彼女は「おっしゃる通り、すべてオーガニックです」と答えてくれた。同じテーブルにいた人たちに、すべてがオーガニックであることを伝えたけれど、「あっそう」とそっけない返事。オーガニックな農産物へ関心がないのか、それとも当たり前になっているのか。この界隈。

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