2009年1月 3日 (土)

聖と俗

実家に帰省し、ある霊場を久しぶりに訪れた。実家から5キロほど山を登り、それほど標高の高い場所ではないが、かなり入り組んだ谷の奥にある。地形に由来しているのか、「穴の谷(アナンタニ)霊場」と呼ばれている。江戸時代後期に、ある高名な法師が修行を積んで以来、霊場としての名前が知られるようになったという。

ここでは万病に効果のある霊水が洞窟から出ると言われている。不純物がほとんど含まれておらず、非常に長い期間保存しておいても、腐敗することはないという。長く病気に悩んでいた人たちも、穴の谷霊場の霊水を飲むようになって、回復したという言い伝えも数多く残されている。朝から雪が降り、凍えるような寒さであっても、霊水を汲みにくる人たちは少なくない。大きなポリタンクをいくつをも抱えて、谷沿いの道を登ってゆく。

Dsc03066谷沿いの道を登りきると、今度は百八段の下りの参道を降りてゆく。普通、参道といえば、上りである。下りの参道は、いかにも霊場に降りてゆくという雰囲気がある。参道を降りきると、小さな広場があって、少し登って洞窟に入る。いまでは蛇口が設置されているが、かつては樋から霊水が流れ出ていたのだろう。蛇口をひねり、両手で霊水をすくい、口にしてみる。刺すように冷たい外気は、おそらく氷点下である。しかし冷水に暖かみがあって、おそらく10℃以上はあるだろう。ほっとする。夏場は逆に、霊水を冷たく感じて、ほっとするのだろう。

かつてに比べて、穴の谷霊場へのアクセスはとても楽になった。広い道路がつけられ、いつしか舗装された。だから台車でポリタンクを運ぶことができるようになった。参道の階段脇には電動コンベアも設置された。大量の霊水を、容易に手に入れられるようになり、有り難みが薄れ、俗っぽくなった印象を拭えなくもない。霊水が出る聖地であるにもかかわらず、清涼飲料水の自動販売機が置かれていたりする。しかし、それでも霊場の雰囲気はいまだに残っていると思う。俗があるからこそ、聖が際立つこともある。

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2007年2月18日 (日)

自己超越への欲求

A.マズロー(1908-70)の欲求階層説に初めて接したのは、就職直後のことである。新入社員研修のなかで教授された。人間のもっとも基本的な欲求は「生理的欲求(睡眠、食事など)」であり、それが満たされると、人の欲求はより上位の「安全欲求」に向かうようにある。同じようの下位の欲求が満たされてゆくにつれ、より上位の「所属の欲求」、「社会的承認の欲求(他者から認められること)」、「自己実現の欲求(自分の目標を実現すること)」へと人は向かうことになる。

社会人になりたての当時、素直に聞く振りをしていたものの、正直いって違和感があった。営業職であった僕には「自己実現というゴールをめざして、頑張って成果をあげろ」と聞こえていた。何となく自己中心的であるし、成果主義の押し付けのようにも感じられた。いかにもアメリカ的だなあと思っていた。しかし、それは浅学ゆえの理解不足だった。

99_6もちろんマズローは「自己実現の欲求」の重要さを指摘していたわけであるが、その先についても考えていた。自己実現した人がさらに成長してゆくと、どうなるのか。研究を重ねた結果、彼が導き出したひとつの結論は、人は「自己超越」に至ることだったという。自己実現をした人の多くは、欠乏や不運に対して超然とし、そして人生を無邪気に楽しむ態度を身につけており、しばしば神秘体験や至高体験をしていた。また人類全体への深い共感や同情を持ち、他者や自然に対して受容的態度を持っていたという。

自己超越への欲求。それは、人が大きな世界のなかで、そして周囲の人たちや自然に支えられて生かされていることを実感することだと言えるだろう。過去から未来へとつながる生命の循環のなかで生きている感覚。いわばスピリチュアリティである。自己実現がゴールではなく、自己超越のためのステップであるなら、決して自己中心的ではないし、成果主義的な発想ではない。ただし僕が最初に勤めた会社もそうであったように、アカデミックな知見を自分たちの都合のいいように解釈、利用する人たちは少なくない。

自己実現を果したうえで、自己超越へ向かう。自然への感謝の気持ち、エゴが小さくなってゆくわけだから、環境問題に対しても望ましい方向が出てくるだろう。自己実現の欲求と比較すると、きっと自己超越の欲求の奥行きはとても深いのだと思う。もちろん、そればかりを追求すると怪しげな世界になってしまう。

エコビレッジの世界ネットワークであるGENによると、エコビレッジの成立条件の1つがスピリチュアリティである(他の2つはエコロジーとコミュニティ)。また最近はスピリチュアリティに関する関心が高まっている。しかし自己を超越したスピリチュアリティという感覚にたどり着くには簡単なことではない。必ずしも自己実現が必要だと思わないけれど、幾多の経験の先にあるものなのだろう。

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2007年2月 2日 (金)

たまには自己崩壊したい

ビートニクス。それは、二十世紀の中頃に現代の物質文明を批判し、いわば伝統的な価値観を否定し、自由な生活をめざした若者たちことである。ビートには3つの意味があるそうだ。その1 beaten. 打ち負かされて、既存の体制や秩序から逃れてゆく。その2 beat. ジャズのビートのように自在に即興で行動する。その3 beatifc. 至福をもたらす。すでにあるものをいったん解体し、混沌のなかから自由に何かをつくりあげ、そして高みにいたってゆく。そのためには現状の枠組みをまず疑ってみよう。とりあえず思考を崩壊させてみる。日常とは、ぜんぜん違う認知モードへとトリップする。ひとつの方法としてドラッグがある。

1993年にノーベル化学賞を受賞したキャリー・マリス。DNAを増幅する画期的な技術、PCR法を開発した生化学者であるけれども、彼は無類の女性好きで、LSDの常用者だと言われている。まさにビートニクスを地で行くような生き方である。既存の秩序なんかクソ食らえ。とことんトリップしようぜ……。新たな発想を得るには、自己崩壊させることもひとつの有用な方法なのだろう。

また年度末が近づいてきた。毎度のように「自己崩壊したいなぁ」と思ってしまう。期限が迫ってくる、新しいアイデアを出さないといけない。しかし出てこない。ストレスも溜まってくる。ドバーッと行って、何もかも忘却し、自分自身をなくしてみたい。そしたら、すっきりするだろう。新しい発想も湧いてくるかもしれない(往々にして、湧いてこないのだが)。しかし小心者だからドラッグなんて手を出すことはできない。見たこともない。

いや、そう言えば、一度だけ見たことがあった。オーストラリアのニンビンという街で「薬をしないか」と誘われたことがある。ERDAというパーマカルチャーの教育機関を訪ねた後、通りを歩いていたら声をかけられた。ニンビンは、いわゆるビートニクス的な若者達が多い街であるが、ごくごく自然な態度で近づいてくる。ときにはドラッグも必要だよ。そんな軽いノリ。世界各地の先住民達はマジカルハーブのようなものを使っていたわけだし、それでビジョンが開けるなら悪いことではないだろう。

世の中では、自分自身の意志をはっきり持ちなさい。自分らしい個性を発揮しなさい、と言われることが多い。なんだか窮屈。ときには自分を崩壊させることも大事だと思っている。安全で、しかも健康的な方法は何かないだろうか。

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2006年11月28日 (火)

スピリチュアル・ヒーリング

インフルエンザの予防接種を受けてきた。本当は受けたくないけど、職場単位での集団接種である。「万一あなたが感染して、それが職場で広がったら、どうするの」。そう言われれば仕方がない。十数年来、風邪など引いたことはないから、ときには風邪にかかってみたいのが本音である。たまには病気をしてこそ、健康な身体がつくられると思う。

ところで現代社会で医療といえば、一般には近代的な病院を連想しがちであるけれども、かつては世界各地でいろんな治療法が行われてきた。鍼、気功、アーユルベーダ、ホメオパシー、薬草療法、アロマセラピー、瞑想、シャーマニズム、各種マッサージ、断食療法など枚挙にいとまがない。これらは一括りにされて代替医療と呼ばれている。

代替医療には近代医療のような即効性はないが、患部だけではなく身体全体の体質改善に結びつくという点で本質的な解決になると言われている。高いコストになりがちな近代医療と違い、先人の知恵をうまく生かせば、安価で良質なサービスを提供することができる。身体だけではなく、心も癒してくれる。スピリチュアル・ヒーリングである。

011ただし代替医療を名乗るものには怪しげなものも少なくない。だから、いまアメリカでは多額の予算を投入して、国家レベルで代替医療の研究が進められている。アメリカのすごいところは、効果がありそうだったら、根拠を追求しようとすることである。はなから怪しいと断定せずに、まずは科学的に研究してみよう。否定するにしても、科学的に実証してみよう。とても懐が深くて、プラクティカルな姿勢だと思う。残念ながら日本では、この分野での組織的な研究は細々である。

注射は痛い。おまけに予防接種をした夜は飲酒禁止。近代医学ではない、代替予防接種を受けたいものである。

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2006年8月13日 (日)

スピリチュアリティのデザイン3

京都府宇治市にある平等院。十円硬貨のデザインとして使われ、いわずと知れた世界遺産である。生命のありようを表現する空間でもある。寺院であるから、当たり前と言えば、当たり前のことであるけれども・・・・。

臨終の光景を描いた「九品来迎図」という壁画がある。菩薩たちが雲に乗って、音楽を奏でながら、亡くならん人のお迎えにやってくる。床に横たわる人は苦痛とも恍惚ともつjかぬ表情で空を眺めている。その傍には涙を流す女性がいて、祈りを捧げる人もいる。しかし家の回りには、談笑する人たちもいれば、野山には鹿が遊び、鳥も飛んでいる。死は日常生活のなかにあったのである。

平等院鳳凰堂は、真東に向かって建てられている。だから春分秋分の頃には、真西に沈む夕日のなかにお堂がすっぽりと包まれる。太陽の沈む方向には、生命の先がある。何かあると思って、太陽の方向へ行ったみたところで、今いる場所から見える夕日があるだけである。

この他にも様々な空間デザインが凝らされている。2001年には平等院ミュージアムがオープンし、当時の様子がデジタル技術で再現されている。「お迎えがくる」という感覚を実感できる。一度は行ってみよう。

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2006年8月11日 (金)

スピリチュアリティのデザイン2

前日ブログの続き。長谷川敬さんの設計した桜町病院聖ヨハネホスピスに行って、感じたこと。ハードとしてみた場合、以下のような特徴がある(もちろん運営ノウハウなどのソフト面は非常に重要である)。

1.そこで人が暮らすという視点での設計
医療供給側の維持管理のしやすさよりも、人が生活をすることを優先する。例えば、酸素吸入器などは据え付け家具などの工夫によって、普段は隠されている。ファミリーキッチンやバーカウンターなどもある。ペット同伴も可。

2.自然を生かした快適な空間
調湿効果などがあり肌触りのいい木材(東京の木)、漆喰などの土壁が使われている。パッシブソーラー、空調機を適切に使うことで、快適な室内気候も実現。本当に気持ちよかった。

3.開放的なプラン
暖炉のあるラウンジ、幅の広い中廊下などがあり、ビューイングルーム(霊安室のような場所)もラウンジに隣接。天窓なども配置されていて、陽光もさんさんと入ってくる。すべての部屋から庭に出ることができる。

4.自然の移ろいが感じられるデザイン
多様な植物が配置された庭。カエルやトカゲも生息。僕が行ったときには、畑で野菜の手入れをする患者さんの姿があった。徹底的なバリアフリーでストレッチャーや車イスのままでも庭の散策を楽しめる(終末期だと、ほんの小さな振動でも身体への負担が大きい)。

5.聖なる場所、思いが溢れる空間
宗教を問わない祈りの場所としてのチャペルが設けられている。また、いいものを作ろうという意気を感じて仕事をした職人さんたちの思いも現れている(磨き丸太、土壁、ステンドグラスなど)。そこには人はいないけれども、人の手が感じられる。

この他にも数多くの細やかな工夫がなされているが、総じて言えることは、人への配慮に最大の重点が置かれていることである。だから周囲の人たちによって支えられていることが実感させられる。人生を完結する人も、見送る人も、あるいは傍観者も。

スピリチュアリティというと、どこか遠い世界というイメージもある。しかし最初の一歩は、すぐ身近にある。普段、接する人々への配慮にあるのだと思う。

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2006年8月10日 (木)

スピリチュアリティのデザイン

世界のエコビレッジを組織するのがGEN(Global Eco-village Network)である。GENによれば、エコビレッジを成立させる3つの原則は、エコロジー、コミュニティ、スピリチュアリティだという。このうちスピリチュアリティは、どうも分かりにくい。英語を和訳すると、霊や魂になるけれども、そうすると怪しげになってしまう。

湯浅泰雄・監修『スピリチュアリティの現在』という本がある。宗教の本ではなくて、心理学、社会学、倫理学などの研究者が執筆した学術書であるが、これによるとスピリチュアリティは4領域(18項目)で構成されるという。
 第1領域 : 人間関係(他者の受容など)
 第2領域 : 生きていくうえでの規範
 第3領域 : 超越(畏怖の念、死の受容など)
 第4領域 : 特定の宗教を持つこと

ひらたく言うと、自分自身が大きな世界とつながっていて、そのことを謙虚に受け止めて、生きてゆく・・・・ということだろう。しかし平時には、このようなスピリチュアリティを実感することはそう簡単ではない。だからエコビレッジではスピリチュアリティを感じられるような空間デザインも重視する。

かなり前、長谷川敬さんが設計したホスピスに連れて行ったもらったことがある。死を目前にした人の表情がとても晴れやかだった。その人の顔色は明らかに悪かったけれども、にこやかな笑顔があった。強烈な印象を受けた。「生きて、生命を終えるってことって、こんなことか・・・」と思い知らされた。

それまでは「空間をデザインすることの力は限られている」と思っていた。しかし長谷川さんの設計したホスピスに足を踏み入れてから、「やっぱりデザインの力ってすごい」と思った。もちろんホスピスにおいては運営する側のソフトも重要である。しかし空間が持つ力もとても大きい。人間を謙虚にしてくれる優れた空間が増えていってほしい。

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2005年9月12日 (月)

スピリチュアリティ:生かされた感覚

GENGlobal Eco-village Network)によれば、エコビレッジの原則は、ecology, community, spirituality だという。このなかで分かりにくいのが spirituality である。

ところでWHO(世界保健機関)では健康をphysical, social, mental の3点で定義している。そして1999年総会では、この3点にspirit も加えようという提案がなされた。結局、採択は見送られ議長保留事項になったが、spirit に対するニーズは相当あるといえるだろう。さてmental spirit はどこが異なるか。

mental の語源は古英語の memory, thought(記憶や思考)。spirit breath(呼吸)。 だからmental は知的精神。spirit は身体感覚の心的状態であり、日本語でいう「気」に近いかもしれない。たしか気の語源も「いき」。

個人的にはspirit とは、大きな自然のなかで、他とつながりながら、生かされていることを感じとることだと思っている。人知が及ばない未知の領域があることを認める謙虚な態度。謙虚であるからこそ、何かが見えてくる。

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